中森明菜、「お化け」に阻まれたオリコン1位 「北ウイング」は彼女にとって重要な曲(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース 中森明菜、「お化け」に阻まれたオリコン1位 「北ウイング」は彼女にとって重要な曲(夕刊フジ) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、日本の歌手、女優。本名同じ。1982年5月1日デビュー。人気の点では松田聖子と並ぶ1980年代アイドルの双璧として、数多くのヒットナンバーを世に送った。アイドルの当たり年と言われた1982年のデビューで、82年組の1人である。芸能界では松田聖子の後輩に当たる。 109キロバイト (13,198 語) - 2021年4月18日 (日) 01:01 |
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】
中森明菜の7枚目のシングル『北ウイング』は、千葉・成田国際空港に第2ターミナルができる前、現在の第1ターミナル(当時は「第1」とは呼ばれていなかったが…)の北ウイングが舞台となっている。
「当時、松田聖子さんと中森明菜さんはアイドルの両横綱でした。ただ2人の違いは…明菜さんはスロースターターというのか、じわじわといくタイプだと思いました。(制作現場の意向で)レコーディングには行けませんでしたので、デモテープでの判断になってしまいますが、とにかく一気に伸びるわけではなく、回数を重ねていく中で完璧なものができあがっていく…。しかも自らイメージを作り出して変えていく。そんなタイプのアイドルでした。ですから作品も最初と完成のときでは見違えるほど違う。常にステップアップしていくというか、完璧主義なのでしょうね」
『北ウイング』の作曲とアレンジを担当した林哲司は、明菜についてそう評価するが、同曲について評論家の中川右介は著書『松田聖子と中森明菜(増補版) 一九八〇年代の革命』(朝日文庫)で次のように記している。
「一九九二年、第二ターミナルができると同時に第一ターミナル北ウイングは改装工事に入り、九九年まで閉鎖されていた。この北ウイングが閉鎖されていた時期は、中森明菜が多くのトラブルとスキャンダルに見舞われ、歌手活動が混迷していた時期とほぼ重なる。中森明菜のファンは成田に行き、北ウイングが閉鎖されているのを見るたびに、彼女の不幸に思いを寄せたものだった。工事による北ウイングの閉鎖と中森明菜の混迷ぶりに因果関係があるのではないかと思えるほど《北ウイング》は彼女にとって重要な曲だった」
その『北ウイング』が発売されたのは84年1月1日だった。前年は「賞レース」、さらには「NHK紅白歌合戦」と大みそかまで『禁区』一本に絞ったこともあって、『北ウイング』の露出展開は「正直厳しかったのではないか」と分析する音楽関係者もいるが、1月9日付のオリコンのシングル・チャートは初登場2位となった。林は振り返る。
「1月1日発売というのはレコード会社の戦略で、誰もが84年の最初の1位は中森明菜だと思っていたはずです。当然、僕もプレッシャーのようなものを感じていたのですが…。それが2位と聞かされ正直ショックというか…。2位になった理由をレコード会社の担当者は『お化けが出た』というのですよ」
お化け-明菜の1位を阻止したのは、わらべ『もしも明日が…。』だった。同曲は前年12月21日に発売された。このためチャートは「年末年始の合算データ」になることから、結果的に1週間のデータしかカウントされない明菜にはハンディが大き過ぎたことは確かで「結果的に戦略ミス」(音楽関係者)だったかもしれない。
『もしも明日が…。』はテレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!』の挿入歌で「わらべwith KINDOKO FAMILY」として発売された。レギュラー出演していた倉沢淳美、高橋真美に加え、藤本正則(現見栄晴)、真屋順子、小堺一機、関根勤がコーラスに参加した話題曲だった。
ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)邦楽宣伝課で明菜の担当プロモーターだった田中良明(現在は「沢里裕二」の名義で作家活動)は振り返る。
「チャートの動きでは『トワイライト~夕暮れ便り』と似ている部分がありますね。この曲は薬師丸ひろ子の『探偵物語』に1位を奪われました。やはり企画性の高いテレビの挿入歌や映画の主題歌というはインパクトがあるのです」
ちなみに『もしも明日は…。』は84年のオリコン年間シングル・チャートで1位にも輝くほどの大ヒット曲になった。 =敬称略 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、56歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fbac5280f704f6b44acf04176658bf0882b8b68
4/30(金) 16:56配信
(出典 Youtube)
もしも明日が わらべ
(出典 Youtube)
中森明菜 北ウィング
>>1
1965年7月生まれなら55歳
地味に名曲だからな、もしも明日が
>>2
メッチャすこ
>>2
何故か、当時通っていた小学校の放送部に、「もしも明日が」のレコードが届いて驚いた。
顧問の先生が買ったとかそういうわけでもなく、先生も驚いていた。
97万枚も売れたのか、もしも明日が…。は
この当時の明菜じゃ敵わないな
>>3 この当時はどのアイドルも年3~4枚リリースしてたからな。一作の売り上げで比べると太刀打ちできない。
逆に言うと「なのに後世まで語り継がれる」曲になったのは明菜のポテンシャル。
高部知子を思い出すわ
今もいない感じになってんのが悲しい
>>4
この曲の時には既にいないし
Love Is The Mysteryのあと愛はミステリィってすごい歌詞だなと思ってた
>>5
リバーサイドホテルと同じだなw
日本歌謡界の伝統か
ミッドナイトフライトって曲名を明菜が北ウイングに変えたんだっけ
すげーいい曲
北ウイング
そりゃもしも明日がの方が良い曲だもの
今でも通用する
サビで重なるコーラスがよかった
>>12
わらべのあの二人の声が奇跡的に可愛くてよかったし
(高部知子は歌にはちょっと残念な声だった)
意外にコーラスで見栄晴の声が重なるところもいいんだよな
ラビザミステリー!
順位なんかどうでもいい
レベルの高い売上を出し今も名曲として残ってんだ
誇っていいよ
当時の高部知子ってキレイだよなあ
あんな色気のある人は今見かけない
もしも明日がを聴くと物悲しくなる
荒木とよひさ三木たかし
かなりガチ曲じゃねーか
スローモーションとセカンドラブが好きだな。
それ以後は余り好きではない。
中森明菜もあと5年で還暦かよ
まぁ、今でも世間の評価は
もしも明日が… >>>北ウイング
だからな。
北ウイングは明菜の曲ではNo.1レベルの傑作だけど、
もしも明日が…は国民的ヒット曲だから
勝てないのはしょうがなかった。
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